【ご報告】競技活動について

皆さま、こんにちは。

7月6日に所属する城北信用金庫のホームページにおいて、現役を引退することを発表させていただきました。

美容師であった経歴や怪我については、メディアやブログ、講演会などでお話する機会はありました。今回はこれまでお話することがなかったことを書かせていただきます。

私は3歳から、ずっとスキーと一緒でした。
そして、競技者であるためには、お金が必要で…
1シーズンの遠征費が数百万、スキー用具、生活費、、。スキーを中心にした生活をするためには、同時にお金を稼ぐ必要がありました。

フリースタイルスキーを始めてから城北信用金庫に入庫するまでの6年間は、様々なアルバイトをかけもちしてお金を稼ぎ、遠征してスキーをする、自転車操業の状態でした。

次の遠征のお金はどうしよう、、ということが常に頭の中にありました。
両親に頼れば解決できたかもしれない…
でも成人してから、何百万円という相談はできない、、。

本当にお金がないタイミングで怪我をしてスキーができなくなった時は、悔しい気持ちはもちろんですが…
「もう、お金の心配しなくていいんだ」と安堵感があったのを覚えています。

思い返すと、怪我して安心するのは、普通の精神状態ではありませんねヽ( ̄д ̄;)ノ

アルバイトは、大変でしたが楽しい時間でした!
良い人生経験ができたと思っています。

そんな私の生活は、2016年に城北信用金庫に入庫し大きく変化しました。

お金の心配をせずにスキーを1番に考えることが できるようになったのです。
スキーが上手くなるため!世界で戦うため!どうしたらいいのか…
何が必要なのか…ただそれだけを考えることができるようになりました。

しかし…
入庫した後も怪我は続いて、少しづつ競技に対する恐怖心が芽生え、恐怖との戦いが始まりました。世界的にどんどん技の難易度が上がっていく、しかし、難易度を上げようとして怪我をする。この嫌な流れで、わたしは最後の3年間今までやりたくて練習してきた900(ナインハンドレット)という技を諦めました。900ができていた時もありましたが、競技人生最後の怪我は900でした…

900を入れればもっともっと上位にいける。でも、怪我はしたくない。

900を諦めるのは、戦いを放棄するような気持ちで、かなり複雑でした。
諦めることで自分の成長を諦めてしまったと思うこともありました。

 しかし、それは違いました。900をやらないと決めた後の3年間は、気持ちも体も、技術も全てにおいて成長することができました。
今は「お金」と「恐怖心」この2つを克服することがこの競技をする上で大切なことかもしれないと思っています。

そして、最後にアスリートとして一番大切だと思うことを書きたいと思います。

北京大会へのチャレンジの期間、恐怖心との戦いは変わらずありましたが、この3年間は「もう怪我はしないだろう」という根拠のない自信もありました。

この自信は、これまでの体作り、トレーニングの成果として手に入れたフィジカルがあったから持てたものだと思います。スキーの技術練習の質と量は年齢を重ねても上げることができました。

ナショナルチームでは最年長でしたが、常に「若者にはなんでも絶対に負けたくない」という気持ちを持っていましたし、
この気持ちもフィジカルトレーニング、スキーの競技練習の量から芽生えたものだと思います。

アスリートである以上、年齢や環境を言い訳にしてはいけない。
環境は作るもの。そして、歳を重ねて疲れて練習量を増やせないなら「フィジカルトレーニングで練習ができる体を作る」そして「誰よりも練習をする」「死ぬほど練習をする」これに尽きると思います。

スキーのことばかり考えてきた24年間でした。
この時間もこれで終わりになります。

未だに社会復帰できるか不安ですが…
不安に飛び込み、もっともっと成長できるよう、新しい環境を楽しんでいこうと思います!

競技は引退しますが、スキーヤーはおばぁちゃんになるまで辞めるつもりはありません!
これからも鈴木沙織をよろしくお願いします!